こんにちは、花萃です。
日々ご覧頂き誠にありがとうございます。
というタイトルで記事を書きたいと思います。
夢なき者に。。。とは吉田松陰さんの名言ですよ
「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし。
計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし」
吉田松陰さんは2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』でもお馴染みの幕末の英雄です。
この名言は後に明治の実業家、渋沢栄一さんの言葉という説がありますが、きっと吉田松陰先生のお言葉を胸に抱いていたのでしょう。
吉田松陰さんは松下村塾という私塾を開いていらっしゃいましたが、その門下生には後の明治維新で活躍される方を多く輩出されています。
幼少の頃は杉虎太郎、吉田家に養子にだされた後は大次郎と改め、通称は寅次郎となります。
昔は養子にだされることはそれほど珍しい事ではなかったのですね。
昭和初期くらいまでは当たり前にあったそうですよ。
花燃ゆでは吉田寅次郎を伊勢谷友介さんが演じていらっしゃいます。
松陰が養子にだされた吉田大助は叔父にあたります。
吉田家は代々山鹿流兵学師範を務めるお家柄で、藩主や藩の学校で講義をなさっていたそうです。
養子に出された叔父、吉田大助は29歳の若さで亡くなりますので、松陰が6歳の頃吉田家の跡取りとなりました。
その後はもう一人の叔父である玉木文之進のもとで学び、11歳の時には長州藩主毛利慶親に講義をするほどでした。
このとき毛利慶親は20歳前後ですので、11歳の子どもに講義を受けたときはどのような気持ちだったでしょう。。。?
きっと複雑ですね
あまりにも素晴らしく、長州のお殿様から家来まで皆が感心しまして、その後も13歳、15歳の時に講義をされたそうですよ。
15歳の時にはお殿様に褒美の書物まで頂いたそうです。
その後は林真人という先生について学びます。
お殿様に頂いた書物は先生のお家が火事になってしまったとき燃えてしまったそうですよ
「燃えてしまって申し訳ない」という林真人に松陰は「もう十分腹に入れたつもりですからご心配なく」と慰められたそうです。
松陰先生は幼い頃から物よりも知識や教養に重きを置いていたのですね。
松陰のこの考え方には実の父、杉百合之助の教えが影響しています。
「むだ話をする暇があれば書物を読め」と言っていたそうですよ。
元々武士は禄という給料で生活をしていましたが、この禄は位によってだいぶ違いましたので杉家は生活の為に農業もしていたようです。
そして父からもうひとつ「神を敬い先祖を尊ぶ」という教えがありました。
毎朝霊前に井戸から汲んだ水を供え、拝み、西の萩城と東の皇室の繁栄を祈ったそうです。
毎月1日には必ず、みそぎをして氏神様への参拝をしたそうですよ
みそぎというのは、水で心と身体を清める儀式です。
さらには神社へ行き着くまで、人と言葉を交わし心を汚さぬよう、という事もしていました。
本当にこのような教えはいつの間に消えてしまったのでしょう。。。
私も今では1日に氏神様へ参りますが、それも私の先生の教えであり、父母には教わりませんでした。
明治維新や幾度かの戦争が日本を変えてしまったように感じます。
武士道が過去の物になってしまった現在では、このような教えを説いてくださる先生はなかなかいらっしゃいませんね。
「神の国、日本」という考え方をもう一度取り戻せば、日本はもっととても素敵な国になると思います
吉田松陰の信念にこのような言葉があります。
「我が国は万世一系の天皇のお治めになる国であって、我等は祖先以来、天皇の臣民である。
天皇は皇祖皇宗の大御心のままに臣民をいつくしませ給(たま)い、臣民は祖先の志をついで天皇に忠義を尽くして来た。
天皇と臣民とは一体をなし、忠と孝とが一致している。
これが我が国の万国に優れたところである。
誰でも日本人と生まれた者は、我が国体がかように尊いことをわきまえるのが、最も大切なことである。」
このような信念は現在、大変右寄り、などと言われたりとなぜかおかしいことのように言われてしまいます。
このような思想は政治的目的に利用したり、過激に人に強要する物ではなく、元々日本に根付いていて自然に親から子へ受け継がれていた物でした。
自分が生きていることへの感謝、先祖への感謝の気持ちを自然に持てたら幸せですね。
松陰先生の教えを受けた塾生達は揃って国に尽くし忠義を尽くした者ばかりでした。
30歳の若さで刑死しましたがその精神は弟子に受け継がれています。
四柱推命鑑定師としては、吉田松陰先生の命式を是非見てみたい、ということで、早速鑑定させていただきました。
吉田松陰先生は1830年9月20日産まれです。
干支は26番、己丑(つちのとうし)で、午未天中殺です。
午未天中殺の人は社会的に評価が高いですね
主星は食神でした。
食神は子どもや子宝という意味もありますが、松陰先生には子どもはいませんでしたので、おおらかな遊び心のある方、と言う方の意味ですね。
ただ、食神を二つお持ちでしたので、傷官に変化していることも考えられます。
傷官ですと、資格を活かしたお仕事や作家さんが多いので、たくさんの書物を残していらっしゃる松陰先生ですから、こちらのほうがピッタリきます。
もうひとつ傷官を持っていますので、たくさんの書物を書かれた才能と食神の遊び心を併せ持っていたのかもしれません。
松陰先生はお名前もたくさん持っていらっしゃって、今で言うペンネームのようなものから通称などお名前がたくさんありますよ
月柱に偏官もあり、穏やかに見えて攻撃的な一面もありますね。
そして、松陰先生の知的欲求は年柱の印綬ですね。
印綬は大変頭が良く、また学問が好きな人が多いです。
先生が生涯捧げた学問は、今も多くの人の心を魅了していますね。
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』をきっかけに多くの方が松陰先生の意思に少しでもふれられればと思います。
本日もお読みくださり誠にありがとうございました。
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